SAMPLE COMPANY

私にとっての歩くこと

古賀 和仁(パワーウォーキングクラブ日本本部理事長)

ガウダー氏が日常生活の行為や態度の指針としている言葉に、「健康は黙っていて与えられるものではなく、積極的に求めていき、それに向かって毎日少しの努力を惜しまないことだ」、そして「ゆっくり歩くことを恐れるな。立ち止まることを恐れよ」とある。 この彼のモットーである積極的に毎日を生きるという考えは私の郷土(福岡県柳川)にゆかりの有る、大先輩である中村天風(心身統一法を広めた思想家・教育者)の考え方に通じるものを感じたものである。 ガウダー氏と出会って後、突然に自らも心臓手術を受けることになったが、それまでの歩くことを含めた多岐にわたる経験とガウダー氏から学んだことが、日本でのパワーウォーキング普及活動の礎となっている。

振り返ると私の人生の中で歩くことは、特別な意味をもっていた。大学1年の夏、鎌倉・稲村ケ崎から大阪駅までの557キロを10日半で歩いた。23歳の時には、大晦日の深夜から正月の朝にかけて、パリ市の外周(山手線一周相当)を歩いて一周した。 これは高校生の頃に今ブームのラグビーをしていたころに培われた基礎体力と脚力がなせる業であったと思われるが、かつて私の家系には、郷土が輩出した武将、立花宗茂(※)の重臣がいた。1606年の晩秋から初冬にかけて、宗重と片道1400キロもある街道を歩いた一人の武士のDNAを、私も受け継いでいるのではと思うとロマンを感じる。

※当時宗茂は関ヶ原の合戦では西軍側で敗れはしたものの、二代将軍徳川秀忠に見込まれ、柳川から奥州南郷(現在の福島県東白川郡棚倉)に赴き、東北の勢力が江戸へ南下するのを防ぐべき砦(野城)の築造を命じられた時のことであった。

写真の説明を入れます

大学1年。鎌倉・稲村ケ崎から大阪府に到着した時(10代の未公認記録達成)

写真の説明を入れます

高校2年。高校ラグビー関東大会出場

写真の説明を入れます

大学1年。ラグビーの練習風景

<< 前のページに戻る